今日は、冒険につきものの仲間との別れについて書いてみました。
みんな同じ置かれた立場での苦しみがある
僕はよく機械的とも言われますが人より少しだけ心のコントロールが上手いだけで、ちゃんと別れには傷もつけば引きずります。
だけどもそうした別れと向き合い、仲間の存在を進み続けるための希望と理由に変えて、僕は僕を励まし進み続けています。
物事を長く続けていると、当然嫌なこともあるし、苦しいこともある。
もしも恋をしたり、子を持ったり、会社を経営したりしなければ、これほどまでに別れを経験することはなかっただろう。
苦しいのは、みんな同じ置かれた立場での苦しみがある
仕事であればやりがいだけではどうにもならないことも沢山歳を重ねれば、物理的に出てくる。
子育てでいえば、責任感だけでうまく子育てができるわけではない。
仲間は財産、経験は哲学、思い出は歴史
僕は、全世界の希望格差を是正すると決めて活動を続けている。
そのために、周りから求められるだけの成長と理想を叶えられるだけの努力を現在進行形で続けている日々を送っています。
だからこそ人生の中で切磋琢磨できる仲間というのは、なによりもの財産で、共に苦楽を共にして道を切り開いてきた経験や思い出はかけがえない言語であり僕の文化で、そうした仲間がいることが僕が生きている証そのもの。
だからこそ別れは何度経験しても辛い。
経営者の中には人を物のように扱う人もいるだろう。
そういう人は傷つかないのかもしれないが僕は少なからず、仲間がいなくなればがっつり傷つく。
仕方がないことだと頭ではわかるし、理解もしている。
そりゃ、成長すればするほど理解者は減るだろうし、長く続ければそれだけ道半ばで違う選択をする人にも多く出くわす。
それが円満な別れや卒業なのであれば、嬉しく思うし心から称賛を送ることができる。
でも、不慮の事故や病による全線離脱や精神的に折れての後ろ向きの退社や離脱は、色々なことを考えさせられ、同時に悔しさも込み上げる。
別れの時いつも、初めてその人と出会った時のことや交わした言葉や共に経験した苦楽が頭に浮かぶ。
生き方を通して仲間と共に人生を歩む
きっと誰かを大切に思う心や愛がなければここまで悔しい気持ちやなんともいえない気持ちになることはなかった。
その別れを教訓にしたり、責任感に転換したり、頑張る理由にすることで僕は徐々にその悲しみから無理やりでも自分自身を立ち直らせ、僕は自分自身にさらに「やる理由」を課していく。
仲間と本当の意味で「さよなら」をしなくてもいいように。
そして次に出会う人を媒介して、仲間との別れで学んだ教訓を生かし同じ轍は踏まないように立ち振る舞う。
僕はだんだんとそうした出来事と傷を重ねて、生き方は、アウトプットでしか決まらない。と思うようになった。
だから生き方で経験をアウトプットする。
そうすることで戦争で戦ってくれた人がいるから今の世界や平和があることに感謝をするように、目の前の人の存在に、そうした仲間たちが残してくれた学びや教えと共に生きることができると感じれる。
成長は、一筋縄では行かず苦悩の連続で先の見えない山登りのようですが、そんな苦楽を共にすることができる仲間は僕にとっては、愛と励ましそのものであり、希望なんです。
誰がなんと言おうとこれは変わらない。
仲間のいなくなっだ世界はとたんと、言語が違う国に楽しかった場所からいきなり放り出された世界のようで、心にはぽっかり穴が開くが、それでも進まなくてはいけない。
それを決められるかは向いているか向いていないかにもよるが、そこに注力して決断を下すことは生き方をさだめるようなものです。
それを流されてではなく、自らの意思で決められだから僕は経営者ができていて世界を変えると本気で思うことができるのだろうなと思います。
諦めないことで全てを肯定したい。
いつかまた会う時に、信じてくれてありがとうと伝えたい。
あの時はごめんねと謝れるように。
そしていかに、今までの大冒険が美しくて、最高で、感動的だったのかをまるで世界中を旅してみてきたものや出会った人の話をするように聞かせたい。
その時、目の前の人ががどんな生き方をしていたとしても、肯定できるくらい。
元気にしてあげられるような、「この人と関わってよかった」と子供に親が感じるような、自分の信じたものは間違いではなかったと思ってもらえるようなそんな生き方をしたい。
だから僕は、離れた仲間とも共に生きる。
さよならをしたいとは思わない人にさよならを言わなきゃいけない人生なんてどうかしてる。
何をもってして生きてるというのかも別れも、なにをもってして仲間というのかも一般論ではなく経験と哲学から僕は僕に定める。
他人や世界の定義ではない。
関わる人(会えなくなった人を含めて)ずっと支えてくれてありがとう。