大好きなばあちゃんと産みの親である母に、一泊の旅行をプレゼントした。
僕は、生まれてから小学校2年生まで病院で暮らし退院した後は、母の彼氏の家を転々とした。
虐待もすごい生活の中で、僕は次第にグレていき中学生からは、ばあちゃんの家や親戚の家で暮らした。
ずっと母を好きになれなかった。
むしろ恨みの対象だった。
でも僕が生まれつき病気だったのも、そういう親のもとに生まれたことも、非行に走ったり、自分を変えるためにあれだけ努力しなければいけなかったことも、何かそこに意味があったわけではなく、「たまたまそうだった」だけの話だと、ある時から僕は思うようになった。
物心がついて、大人になり親に母親を求めても子供時代に欲しかったその時間は、もう2度と手に入れることはできないと悟った。
許すことが僕の親孝行
誰もが好きで子供を授かるわけではないし、親になったからといって誰もが「母親らしい」母親になれるわけでもない。
そこにあるのはいつも母親である母親でも
母親らしい母親でもなく
その人らしい母親の姿なのである。
長年愛について考え続けた
そして、僕が出した結論は、
本当の愛は、許すことができること。
というものだった。
何年も苦しんだ。
沢山泣いた。
でもある時、スッとこの考え方が心に目座え腑に落とすことができた。
そして、僕は母親も、「母である前に一人の女性で人間なんだ」と思えるようになった。
長く時間はかかったが、僕は母を許すことができた。
そして様々な感情や執着を手放すことができるようになって楽にもなり、責任を背負える人間にもなった。
期待をかけられる生き方ができるようになった。
世の中には、何かに執着することで自ら息苦しい人生を生きている人が沢山いる。
僕だってそのうちの一人だった。
ただ、手放さなきゃ本当の自分の人生を心から生きることはできない。
怖いかもしれないし、手放すきっかけは必要だと思うけど、幸せになるために僕らは生きているという事を思い出して欲しい。
様々な執着を手放すことができれば、お金で比べてしまう生き方も、くだらない見栄からも解放される。
そんな生き方ができる人の周りには、本当にその人の大切にしているものを尊重してくれる人が集まってくるようになると思う。
それから自分の生き方に合わない人と出会っても、その人と同じ環境で生きていたら「自分もそうなっていたかもしれないな」と思うことができるようになったことで、その人の生き方や価値観を受け入れたり尊重することができるようにもなった。
親孝行したいときに親は無しとよく言われるけど、僕はなんとか間に合ったと言えるのかな?
母よ。長く生きてくれ。
元気に生きてくれ。
無理をして親孝行をするつもりはないけど、馬鹿でひ弱でいじめられっ子だった息子は、これからも病気に負けず、初心を忘れず世の中で役立つ人間として、生まれてきた意味とその役割をまっとうしていきます。